たろうの飲まなければ良いのです

たろうの飲まなければ良いのです。

禁酒して気力、体力回復し、やる気になった人のブログです

アルコール依存症体験記(社会人編20代―1)

 こんにちは、たろうです。ブログ6日目です。令和元年10月1日より禁酒を始めて、48日経過しました。もうこの頃は、禁酒して〇〇日と日数は気にならなくなりました。たまに、もうアルコール依存症は治ったのではないか、これからは、コントロールして飲めるのではないかと思う事があります。喉元過ぎればなんとやらで、愚かで、浅はかな、いかにも僕らしい考えだと思います。

そんな事がないように、たまに、禁酒して〇〇日と日数勘定するようにしています。

 さて、大学は留年しましたが、無事、卒業することが出来ました。そして、某機械メーカーに就職したのです。

まず、私の転職歴のご紹介です。

機械メーカーの営業(2年)

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A工場作業員(7年)(親戚の会社でした)

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B工場作業員(7年)(リストラされちゃいました。この後、お酒の飲み方がひどくなります。)

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倉庫管理(2年)

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C工場作業員(今年で8年目、いつまで続くでしょうか?)

  

って感じです。

 

大学卒業して、機械メーカーの営業として2年働いた僕でしたが、その頃のお酒の飲み方は、機会飲酒のみで飲む機会も、月に2、3回程度でした。お酒を飲むと、明るくなり、よくしゃべる程度でまだ問題になるような飲み方はしていなかったと思います。

 その後、親戚の会社を手伝ってくれと言われ、最初の転職をしました。“将来は社長になれちゃうんじゃないの?”という浅はかな考えと、会社を辞める良い口実ができたと思い親戚の会社に勤める事にしたのです。

 A工場作業員時代のお酒のみ方でしたが、やはり機会飲酒のみでした。飲む機会は、だいぶ増えて、週に2、3回位だったと思います。段々と、記憶が無くなるまで飲む事が増え、財布等持ち物をなく事もしばしばあり、徐々にお酒の問題が表面化してきました。職場では、たろうは普段は真面目だが、お酒を飲むと変わるとレッテルを貼られていたと思います。

そんなA工場時代、お酒の失敗談は幾つかありますが、その中から一つご紹介します。

その工場の仕事は結構、肉体的にハードでした。入社しても、直ぐに辞めていく人も多く、きつい職場でした。又、工場長は180㎝以上あり、ガタイも良く、怖い存在でした。

そんな、工場長と、休日に一緒に遊んだ時の事です。実は、工場長、皆に嫌われていたのですよ。最初は、皆、工場長に付き合っていたのでしたが、上手く断るようになり、とうとう僕に、『休日何もしていないなら付き合えよ』と声をかけるようになったのです。

 嫌なら、断れば良いのに、断れない僕は『いいですよ。』と工場長の趣味の付き合う事のなったのです。

 その趣味とは、バイクです。🏍トライアルバイクといって山の中を走る競技です。私は全く興味がありません。最終的にはバイクを購入して、付き合う所まで行ったのですが、さすがに最後は断るようになりました。そんなバイクの競技を観戦にいった時の事です。

 競技を観戦した後、飲み会です。もう精神的に一杯、一杯だったのでしょう。浴びるように飲みました。飲み会の内容は覚えていません。そして、事件は帰りの電車で起きたのです。

続くでござる。👅